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なぜ日本では、キャラクターが街のあちこちにいるのか

物語とキャラ · 2026-06-03 · 約1,800字 · 約4分

目次 (6)
  • キャラクターの仕事
  • くまモンという実験
  • 役所から回覧板まで
  • 愛嬌という感覚について
  • 批判もある
  • あなたの街には、どんな顔がいるか

市役所の封筒を開けると、キャラクターが笑っている。交番の啓発ポスターにも。消防署の防災チラシにも。電車内のマナー広告にも。年金加入を促す国のパンフレットにも。

外国から来た人が「なぜ日本はこんなに至るところにキャラクターがいるの?」と不思議がるのは、わかる。でも言われてみれば——日本人の自分も、ほとんど考えたことがなかった。

キャラクターの仕事

ゆるキャラ——イラストレーターのみうらじゅん氏が2000年代初頭に名づけた言葉——は、今や日本全国に数千体いると言われる。熊本県のくまモン、船橋市のふなっしー(非公認)、奈良の「せんとくん」。地方自治体、行政機関、警察、消防、地域の商店街……あらゆる組織がキャラクターをもち、あらゆる場所にキャラクターがいる。

そのキャラクターたちに共通している仕事がひとつある。

「距離を縮めること」 だ。

役所は、税務署は、年金機構は、どこか近づきにくい。手続きは複雑で、書類は難しく、窓口は緊張する。そこに丸くて愛嬌のある顔がいると——たとえほんの少しでも——「まあ、読んでみるか」という気になる。難しいものを難しいまま届けるのではなく、側にやわらかいものを添える。それがキャラクターに与えられた役割だと、私は思っている。

くまモンという実験

2011年、熊本県は観光PRのためにくまモンを展開した。特徴的だったのは、デザインの開放方針だ。熊本のPRに使う限り、誰でも無償でくまモンを使っていい。企業も個人も、申請すれば自由に使える。

この仕掛けでくまモンは九州を出て、全国に広まった。熊本県の公式発表によれば、くまモン関連商品の累計売上は1000億円を超えるとされる。しかし、くまモン自体から直接収益を得ることが目的ではなかった。「熊本」という地名を、知っている・なんとなく好きだと感じてもらうことが目的だった。

キャラクターは場所を代表するのではなく、場所への感情の入り口をつくる。くまモンを見ていると、そう感じる。

役所から回覧板まで

市役所の窓口にキャラクターがいる。自治会の回覧板にもいる。地域の電車の安全ポスターにも。空港の案内板にも。防災パンフレットにも。確定申告の時期になれば、税務署のキャラクターがポスターに登場する。

アニメで見たことがある光景かもしれない——町の掲示板、お祭りのチラシの隅にある小さなキャラクター。あれは世界観を作るための架空の小道具ではない。アニメ制作者たちが、自分たちの育った環境をそのまま描いたものだ。

これほどまで「愛嬌で公共空間を満たす」文化は、世界的に見ても珍しい。当たり前だと思っていたが、外から見れば相当に独特な光景なのだと改めて気づく。

愛嬌という感覚について

なぜここまでキャラクターが広まったのか——これはひとつの見方に過ぎないけれど——日本の公的な場には、もともと「かしこまった距離」がある、ということと関係しているのかもしれない。

制服、窓口、公式の言葉。それらをすべてまとって人前に立つ代わりに、横にふわっとしたキャラクターを置く。「私たちは近づきにくいかもしれないけれど、こいつがいるから大丈夫ですよ」という、静かな合図のように。

日本語で「愛嬌がある」という言葉は、人にも場所にも使われる。ただかわいいというより、隙があって、親しみやすくて、やわらかい——という質のことだ。その感覚は、ステーショナリーのデザインにも、お菓子のパッケージにも、役所のチラシにも、等しく流れている気がする。

これは私なりの読み方であって、結論ではない。担当者が「なんかつくろうか」と軽い気持ちで始めたキャラクターも、きっとたくさんある。もちろん、全員が同じように感じているわけでもない。

批判もある

ゆるキャラブームへの反論が、2010年代中ごろに経済学者や評論家から出てきた。

「キャラクターに予算をかけても、肝心のサービスは変わらない」「複雑な書類の上にかわいい顔を乗せても、複雑さは消えない」「公共空間がキャラクターで埋まることで、かえって幼稚化するのではないか」——こうした指摘は、的外れではないと思う。

やわらかい入り口が本当に中身の改善につながっているのか、それともやわらかさが「改善した気分」を代替しているだけなのか。どちらの可能性もある。

どちらか一方だけではなく、どちらもある。それが正直なところだと思う。

あなたの街には、どんな顔がいるか

市役所の帰り道、封筒のキャラクターを少し見直してみる。あいつが笑っているのは何のためか。自分は少しだけ気が楽になったか。

思えば、公共の案内を「まず愛嬌から入る」という発想は、決して自明ではない。外国の行政機関がほぼすべて紋章と書体の重みで語りかけるのに比べれば、たしかに異質だ。

これが温かさなのか、回避なのか、それとも単純に「日本にはそういう美意識がある」ということなのか。あなたの街の役所は、どうやって親しみやすさを演出しているだろう。


主な参照

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