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なぜ日本では、4月に学校が始まるのか

所作と作法 · 2026-07-06 · 約1,800字 · 約3分

目次 (5)
  • 「4月」は制度から来た
  • 偶然が、意味になった
  • 「散る」という時間の中で始まる
  • ずっと揺れている「9月入学論」
  • あなたの「始まり」は、何月から来ているか

考えたことが、なかった。

4月になれば学校が始まる。それだけのことだと思っていた。でも「なぜ4月なのか」と問われると、急に答えが出てこない。誕生月でもなく、農業の節目でもなく(暦の上ではとっくに春だが)、何かを根拠に「4月」を選んだはずで——そう問われると、するりと答えが逃げていく。

「4月」は制度から来た

もともと日本は旧暦で動いていた。明治時代に西洋の制度を一気に取り入れるなかで、1886年(明治19年)、国の会計年度が4月1日〜3月31日に固定された。同じ年、学校令の整備によって学校の暦も国家の行政暦に合わせて動くことになった。

新しい予算、新しい人事、新しいクラス。すべてが4月に一斉に動き出す仕組みが、このとき決まった。

は、そこに偶然いた。4月を選んだのは桜ではなく、明治政府の会計制度だった。

偶然が、意味になった

これが、この話でいちばん静かな逆転だと思う。

制度が先で、桜は後だった。ところが今の私たちには、入学式と桜はもう切り離せない。少し大きすぎる制服を着た子どもと、まだ散りきっていない桜の写真。親が黒い正装で並ぶ入学式の朝。何十年も繰り返されたことで、制度の「4月」は感情の「4月」になった。

桜が入学式の季節を決めたのではない。入学式が、桜の季節に決まったのだ。でも、もうその順番は見えなくなっている。

これが、この記事でいちばん伝えたいことだ。

「散る」という時間の中で始まる

桜は二週間もたない。入学式の週に咲いていた花は、名前を覚え終わる前にもう散っている。

散る(chiru)という動詞は、落ちる(ochiru)とは少し違う。桜は散る——一斉に、自分のタイミングで。

そのことが、4月の「始まり」に、微妙な翳りを混ぜ込む。新しさと、すでに何かを惜しむような気持ちが同時にある——入学式の朝のあの奇妙な胸のざわつきは、もしかすると桜の短さとつながっているかもしれない。始まりの日に、すでに終わりへ向かっている何かを見ている感覚。

もちろん、そんなことは意識しなかった、という人もいると思う。桜は背景で、入学式はただ緊張するだけの儀式だった、という正直な人もいるだろう。それも本当のことだと思う。

ずっと揺れている「9月入学論」

4月始まりに、繰り返し異議が唱えられてきた。

世界の多くの大学は9月・10月に学年が始まる。日本の学生が海外の大学へ進もうとすると、卒業と入学の間に数ヶ月の空白が生まれる。9月入学にすれば、この段差がなくなる——そういう議論が定期的に浮かび上がる。2020年、コロナによる長期休校をきっかけに、この議論はかつてないほど大きくなった。複数の知事や政治家が本気で動いた。

けれど実現しなかった。会計年度、企業の採用サイクル、入試のスケジュール——140年かけて積み上がった制度の層が厚すぎる、という現実がある。そして、9月入学になれば入学式は台風の季節になる。桜はない。

「それがどれほど大事か」は、人によってまったく違う。でも、この話が毎回感情を帯びるのは、4月と桜がもう単なる制度の問題ではなくなっているからだろう。制度を変える話が、なぜかノスタルジーの話になる。

あなたの「始まり」は、何月から来ているか

思い返してみると、自分の一年の感覚は知らないうちに4月を基点に作られている。3月は終わりの月で、4月は始まりの月。9月は夏が終わる月だが、「新しい自分」にはならない。

それは、1886年に決まった会計年度の話だ。でも同時に、桜が咲くたびに更新されてきた感情の話でもある。

制度は割り当てられた。意味は、積み重なった。

あなたの「始まり」の季節は、どこから来ているだろう。


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