なぜ日本の夏は、花火なのか
季節と自然 · 2026-07-10 · 約1,800字 · 約3分
目次 (5)
- 花火の始まりは、祈りだった
- 打ち上がる前から、花火は始まっている
- 消えるから、祈りになる
- 変わりつつある花火の風景
- 言われてみれば、私たちはずっと
朝、河川敷にブルーシートが並ぶ。昼ごろには浴衣姿が増えて、日が傾く前から屋台の煙が土手を流れる。花火はまだ上がっていないのに、どこかで祭りはもう始まっている——そういう感覚を、あなたも一度は覚えたことがあるんじゃないだろうか。
花火の始まりは、祈りだった
享保十八年(一七三三年)。前年の大飢饉と疫病で、江戸でおびただしい数の人が亡くなった。翌年、幕府は両国の大川(現在の隅田川)に船を浮かべ、花火を打ち上げた。死者への慰霊と、疫病退散を神仏に願う行事として。
これが現代の「隅田川花火大会」の源流とされる。轟音は邪気を払うものだと信じられていたし、光が夜空を切り裂いて消えていくことは、魂を見送る行為と重なっていたかもしれない。
「かもしれない」と書いたのは、当時の人が正確に何を感じていたかは、私には言い切れないからだ。ただ、お盆の時期に花火大会が集中していること、川や海のそばで行われることが多いこと——そういった事実を並べると、「夏の花火」と「死者との接点」が切り離しにくいのは確かだと思う。
打ち上がる前から、花火は始まっている
花火大会は、花火が上がる時間だけではない。
早朝の場所取り。浴衣を着るのにどれだけかかったか。食べた焼きとうもろこしの甘さ。混雑する駅のホームで知らない人と肩を並べた感覚。帰り道に汗だくになりながら歩いた距離。
「花火を見た」というより、「花火のある日を過ごした」という感覚に近い。あの一日全体が、ひとつの記憶として固まる。
打ち上げ花火が消えるのは、ほんの数秒だ。それでも、その数秒のために半日をかけるのは——なぜなのだろう、と考えると、少し不思議な気がしてくる。
消えるから、祈りになる
ひとつの見方として、こんなふうに思っている。
花火は、消えるから「祈り」になれる。
石碑は残る。言葉は記録に残る。でも花火は、どんなに大きくても、音と光と煙になって散っていく。残すことができない。その「残せなさ」こそが、花火を「送る行為」にしているのではないか——と、個人的には感じる。証明はできないし、そう感じない人もたくさんいると思う。でも、夏の花火の前に、なんとなく背筋が伸びる感覚を持ったことがある人には、少し伝わるかもしれない。
これがこの記事での核文だ。花火は「きれいだから見る」のではなく、「消えるから送れる」のだと思う。
変わりつつある花火の風景
ただ、正直に書いておきたいことがある。
近年、大規模な花火大会では「有料観覧席」が当たり前になりつつある。無料エリアはどんどん狭くなり、早朝から場所を取る文化も、警備の都合で制限される大会が増えた。開催費用の高騰、警備コストの増大、騒音や混雑への住民の苦情——そういった現実の中で、大会の中止・規模縮小も続いている。
「夏の花火」が当たり前だと思っていたのは、もしかしたら特定の時代の話だったかもしれない。祈りの起源を持つ祭りが商業的なイベントへと変容していくことへの寂しさを感じる人もいる。一方で、それでも続けようとする地域の努力もある。表裏一体だと思う。
言われてみれば、私たちはずっと
花火大会の起源を知っていた人は、どれくらいいるだろう。多くの人は知らなかったとしても、それでも毎年出かけていく。浴衣を着る。場所を取る。帰り道を歩く。
言われてみれば、私たちはずっと、誰かのための祈りの形を繰り返していたのかもしれない。その意味を知らないまま。
あなたが覚えている「花火の日」は、どんな一日だったか。
主な参照
- 隅田川花火大会公式サイト(開催の経緯・歴史)
- 江戸東京博物館「享保の大飢饉と川開き花火」関連展示資料(館内資料)
- この記事は個人的な観察と公開資料にもとづくエッセイです
折々のうた 三六五日(大岡信)
短歌・俳句を一日一首、四季の移ろいとともに読む詞華集。日本の季節感に触れる入口に。
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