なぜ日本には、いまだに電柱がこんなに多いのか
日常 · 2026-06-20 · 約1,800字 · 約3分
目次 (5)
- 気にしたことがなかった
- 戦後の急ぎ足
- 震災と「見えること」の強さ
- 景観の問題——もう少し正直に
- 夕焼けと、積み重なった時間
夕方、帰り道に空を見上げたとき、電線が夕陽の前を横切っていた。電柱の影が斜めに伸びて、カラスが一羽、止まって動かない。そのまま歩きながら、ふと思った。
——なんで、まだこんなにあるんだろう。
気にしたことがなかった
電柱を意識して見た日が、いったい何日あるだろうか。あって当たり前すぎて、景色の一部になっている。電線が空を細かく区切っていても、それを「おかしい」と感じたことはほとんどない。でも、言われてみれば、なぜだろう。
日本の無電柱化率(ケーブルを地中に埋める割合)は、都市部でも非常に低い。国土交通省のデータによれば、主要幹線道路での地中化は一部で進んでいるものの、住宅街の裏道はほぼ手つかずのまま。ロンドンやパリがほぼ100%地中化しているのと比べると、差は大きい。「なぜ」と聞かれると、うまく答えられなかった。
戦後の急ぎ足
理由のひとつは、戦後の電化の速さにある。
1940年代末から1950年代、日本は焼け野原から電気を引き直した。木の電柱を立て、その上にケーブルを渡せば、数日で一軒ずつ電気を届けることができた。地中化は遅い。掘って、管を埋めて、防水して——一区画に何週間もかかる。そんな余裕はなかった。
速さを選んだのは、合理的な判断だった。
問題は、その後だ。高度経済成長期に入ると、同じ電柱に電話線がのり、ケーブルテレビがのり、光ファイバーがのった。掘るよりも、既存の柱に束ねるほうが安かった。こうして電柱は、複数の通信インフラを一本で支えるハイブリッドな構造物になっていった。電柱は「インフラの遅れ」である以前に、その時代の判断の痕跡だと私は思う。
震災と「見えること」の強さ
もうひとつの理由は、地震だ。
地上に張られたケーブルは、断線した箇所が目で見てわかる。バケット車を出して、その日のうちに直せることも多い。地中ケーブルは違う。どこで切れているかを探すだけで、機材が必要で、掘り起こしが要る。2016年の熊本地震では、地表変形が激しかった一部エリアで地中ケーブルの復旧に時間がかかった事例が報告されている。
日本は毎年何千回もの地震を経験する国で、大きな揺れは必ずまた来る。「いざというとき、どちらが速く直せるか」という問いは、インフラ設計において無視できない。もちろん技術が進めば地中でも対応力は上がる。でも、電柱が残っている理由のひとつに、この「見えることの速さ」があるのは確かだと思う。
景観の問題——もう少し正直に
とはいえ、電柱が街の景観を損ねているのも事実だ。
2016年には無電柱化推進法が制定され、主要道路での地中化が国家的な課題として動き始めた。観光地の景観整備や防災対策として、一部の地区では着実に進んでいる。でも住宅街の電柱は、資金・地権者との調整・工事の複雑さが重なって、思うように減らない。
電柱の倒壊は、台風や地震で実際に起きている。道路を塞ぎ、停電を長引かせ、避難を妨げる。「景観がどうこう」より先に、安全上の問題として声が上がっていることも知っておく必要がある。速く直せるという強みと、倒れたときのリスクは、表裏一体だ。無電柱化が遅れることへの批判は、単なる審美眼の話ではない。
夕焼けと、積み重なった時間
それでも、電柱が持っている別の顔がある。
住宅街の夕方、電線の向こうに沈む夕陽を見ると、なぜかぼんやりと懐かしい気持ちになる。子どもの頃に帰り道で見た景色、あるいは誰かと別れた夕暮れ。アニメでも繰り返し描かれる、あの「夕焼けの電線」のシーンは、誰かが意図してデザインしたものではない。実際の街がそうなっているから、そのまま描かれているだけだ。
あの形が残っているのは、戦後に日本が急いで復興し、地震とともに生きることを選んで、コストと速さのあいだで折り合ってきた積み重ねだ。懐かしさとして消費するためのものではなく、ある時代の選択がそのまま立っている。
美しい、とは言い切らない。でも、ただ醜いとも言い切れない。今日の帰り道、空を見上げてみてほしい。あなたの街の電柱は、どんな時代を背負って立っているだろう。
主な参照
- 国土交通省「無電柱化の推進」
- 無電柱化推進法(平成28年法律第112号)
- この記事の感情的・個人的読みは、外部資料に依らない日常の観察にもとづきます
タテ社会の人間関係(中根千枝)
日本社会の人間関係を「タテ」の構造から読み解いた古典的論考(1967年)。集団がなぜそう動くのかを考える手がかりに。
「甘え」の構造(土居健郎)
「甘え」という言葉を軸に日本人の心理と人間関係を論じたロングセラー。所作や言葉の奥にある感覚を掘り下げたい人へ。
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