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なぜ日本では、定時に帰るときも「失礼します」と言うのか

言葉と感じ方 · 2026-06-19 · 約1,300字 · 約3分

目次 (5)
  • 言葉を分解してみると
  • いつ、誰に言うか
  • 言葉に埋め込まれた構造
  • もう一つの読み方
  • 変わってきている部分と、残っている部分

午後6時、仕事が終わった。かばんを持って立ち上がると、まだ席についている同僚たちが見える。

「お先に失礼します」

と言って、ドアを出る。

この光景は日本の職場では日常だが、一度立ち止まって言葉を分解してみると、少し興味深いことが見えてくる。

言葉を分解してみると

「お先に失礼します」の構造はこうだ。

「お先に」は「あなたより前に」「あなたに先んじて」という意味。「失礼します」は「礼を失した行動をします」「失礼なことをします」という意味で、動作そのものを謝罪として表明するかたちになっている。

つまり直訳すると、「あなたより先に帰るという失礼をします」となる。

帰宅という、本来は中立的な行為が、「失礼」というフレームで言語化されている。これは意識的に構築された言葉ではなく、慣用表現として定着したものだが、構造として見ると、自分が先に抜けることを謝罪の形で名指ししていることになる。

いつ、誰に言うか

この言葉が使われるのは、自分が帰るとき、かつ周囲がまだ残っているときだ。

最後の一人になって帰るときは言う相手がいないので、言わない。全員が同時に帰るときは「お疲れ様でした」が一括で使われることが多い。「お先に失礼します」が意味を持つのは、非対称な場面——自分は帰る、相手はまだいる——というときだけだ。

返し言葉は「お疲れ様です」が基本。相手が今日の働きを終えて帰ることを受け取った、という承認に近いニュアンスがある。この一往復でやりとりが完結し、帰る人は出ていく。

言葉に埋め込まれた構造

ここで少し考えてみたいのは、この言葉が「定時退社」と「早退」を言葉の上で区別しない、という点だ。

仕事が片づいて定時に帰っても、途中で用事ができて早めに上がっても、言葉は同じ「お先に失礼します」になる。帰宅という行為に対して、タイミングや理由に関わらず同じ謝罪のフレームが与えられる。

これが実際の行動にどう影響するかは、人によって、職場によって、かなり違う。「完全に言葉の習慣で、気にしていない」という人もいれば、「帰りにくい空気を感じる」という人もいる。言語が感情に影響を与えるかどうかは研究者の間でも議論があるが、少なくとも言葉の構造として「帰宅=先行する失礼」というフレームが毎日繰り返されていることは確かだ。

日本の長時間労働の背景には複数の要因がある——人手不足、顧客対応の慣習、評価制度、上司が帰るまで帰りにくいという序列感覚。「お先に失礼します」はそのうちのひとつの担い手かもしれないが、これだけが原因というわけではない。

もう一つの読み方

ただ、この言葉をネガティブにだけ読む必要もない。

自分が帰ることを周囲に伝える、というのは、黙って消えるよりも誠実な行動と見ることもできる。まだ働いている人の存在を言葉で認め、自分だけが先に出ることを名指しにする——これは一種の誠実さの表れでもある。

謝罪と礼儀は紙一重で、この言葉はその両方の機能を同時に果たしている。

変わってきている部分と、残っている部分

近年、日本では働き方改革が推進され、残業時間の上限規制が法律として整備された(2018年施行・段階的拡大)。特に若い世代や外資系・IT系の職場では、「お先に失礼します」を言葉の意味通りに使わなくなっている職場も増えている。定時に帰ることへの空気が変わりつつある、という声は以前よりも聞かれるようになった。

一方で言葉そのものはまだ広く使われている。言語は文化の変化よりも遅れて変わる。

午後6時に席を立ったとき、その一言を口にするかどうか、どんな気持ちで言うか——そのわずかな差が、その職場の空気を少しだけ映している気がする。


主な参照

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