NAZE

なぜ日本人は、マスクをよくつけるのか

日常 · 2026-06-03 · 約2,300字 · 約5分

マスクをつけて通勤する人たち
自分のためだけでなく、人のためにも――そんな習慣かもしれません。
目次 (5)
  • 理由は、いくつかある
  • 「顔を隠す」という、もうひとつの役割
  • 建前という、もうひとつの顔
  • 影の部分も、本当にある
  • 言われてみれば、私たちは

電車に乗ると、隣の人がマスクをつけている。コンビニでも、学校でも。花粉の季節が終わっても。外国人の友人に「なんで?」と聞かれると——そういえば、なぜだろう。

理由は、いくつかある

まず観察できることを先に言っておく。

花粉症の季節になると、マスクが空気のように広がる。時期は地域や花粉の種類によって幅があるが、多くの地域ではおおむね春先にピークを迎える。調査年や定義で差はあるものの、花粉症は国民のかなり大きな割合に関わる症状で、環境省の花粉症環境保健マニュアル(2022年版)が引く2019年の全国調査では、花粉症全体で4割超(スギ花粉症で約4割)とする数字も示されている。この一点だけでも、春の朝の通勤電車の風景はかなりの部分が説明できる。

それに加えて、「風邪をうつさない」という意識がある。電車の中でせきをすること自体が、長年、少し申し訳ない行為として扱われてきた。マスクをつけることは、他者への小さな配慮として静かに定着している。新幹線で静かにしたり、エスカレーターで端によったりするのと、同じ種類の習慣だ。

ただ、それだけでは説明しきれない場面がある。9月の晴れた火曜日のマスクを、花粉では説明できない。

「顔を隠す」という、もうひとつの役割

ここから先は、個人的な読みとして聞いてほしい。

マスクをつけていると、表情が見えない。それが、ある種の安心感をもたらすことがある——のかもしれない。毎朝、何十人もの見知らぬ人と密接な空間を共有する日本の通勤では、「顔を管理しなくていい」という小さな解放が、意外と大きかったりする。疲れていても、少し気が沈んでいても、それが周囲に読まれにくくなる。

マスクは外向きには「うつさない盾」だが、内側には「見せなくていいカーテン」でもある。そういう使われ方をしている部分が、おそらくある。

もちろん、全員がそう感じているわけではない。あくまでひとつの読みだ。

個人的な実感を足すと、まわりを見ていて思うのは、女性が「ちょっとそこまで」の外出でマスクをつけるのは、化粧をするのが面倒だから、という面もけっこうあるんじゃないか、ということだ。「見せなくていいカーテン」は、疲れた表情だけでなく、すっぴんも隠してくれる。もうひとつ、配慮の向きについても言っておきたい。自分の感覚では、マスクは「人からうつされたくない」ためというより、「自分が風邪気味のとき、人にうつさないように」という理由でつけることのほうが、ずっと多い。守っているのは、自分よりも、むしろ相手のほうなのだ。

建前という、もうひとつの顔

ここでもう一段、掘り下げてみたい。

日本語には「本音と建前(ほんね・たてまえ)」という言葉がある。本音は内側の本当の気持ち、建前は場に応じて外に出す顔——この二重構造は、マスクよりずっと前から、日本の対人関係の基本設計として語られてきた考え方だ。職場の会議、近所付き合い、初対面のやりとり。多くの場面で、人は本音をそのまま出さず、場にふさわしい「建前の顔」を差し出す。それは嘘というより、場を壊さないための調整、というほうが近い。

マスクは、この建前の顔を、文字どおり物理的に作ってしまう道具なのかもしれない、と個人的には思う。表情筋を動かさなくても、口元がそもそも見えなければ、愛想笑いも、無理な微笑みも、いらなくなる。建前として作っていた表情のコストを、マスクが肩代わりしてくれる——そう考えると、「顔を隠すと楽になる」という感覚は、単なる気恥ずかしさの話ではなく、日本語の対人関係がもともと持っていた「内と外の顔」という構造と、地続きなのかもしれない。

外向きには、うつさないための配慮——おもてなしの精神に近い、相手を思う気配り。内向きには、建前の顔を作らなくていい、という小さな休息。マスク一枚が、外と内、両方の「顔」を同時に扱っているのだとしたら、それはずいぶんよくできた道具だ、と思う。

もちろん、これも一つの読み方に過ぎない。マスクをつけるとき、本音と建前のことまで考えている人はまずいないだろう。それでも、この国の対人関係が長く持ってきた「内と外を分ける」という感覚と、マスクの二つの顔が、どこかで響き合っている気はしている。

影の部分も、本当にある

便利な盾は、同時に壁にもなりうる。

表情が読めない。笑顔が届かない。会話のニュアンスが変わる。コロナ禍以降、「ずっとマスクしていたせいで、人の顔を読む力が落ちた気がする」「表情のやりとりが何かスムーズでなくなった」という声が出てきた。感情的な距離が、気づかないうちに少し固定されていたのかもしれない。

マスクをはずすことへの小さな解放感を語る人がいる。それも本当のことだと思う。美しい習慣の話だけで終わらせると、何かが抜ける。建前の顔を作らなくていい楽さと、素顔を見せない孤独は、同じマスクの表と裏なのかもしれない。

言われてみれば、私たちは

マスクをつけることがいつ「ふつう」になったか、改めて問われると答えが出ない。

感染対策として始まり、配慮として定着し、気がつけば習慣になっていた。そこに「顔を出さなくていい静けさ」が少しずつ重なって——。

あなたは今日、どんな気持ちでマスクをつけているだろう。


主な参照

もっと知りたい人へ
おすすめ書籍

タテ社会の人間関係(中根千枝)

日本社会の人間関係を「タテ」の構造から読み解いた古典的論考(1967年)。集団がなぜそう動くのかを考える手がかりに。

※当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です
おすすめ書籍

「甘え」の構造(土居健郎)

「甘え」という言葉を軸に日本人の心理と人間関係を論じたロングセラー。所作や言葉の奥にある感覚を掘り下げたい人へ。

※当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です

この記事をシェア

𝕏💬 LINE📑 はてB

次に読む

「日常」の記事をすべて見る →

関連記事

同カテゴリの関連記事: