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なぜ日本人は、自然を征服するより共にあると考えるのか ——抗わず、いなす構え

所作と作法 · 2026-06-08 · 約1,700字 · 約3分

朝の公園でお堂のそばにたたずむ鹿
追い払わず、少し距離を置いて共にいる。そんな暮らし方かもしれません。
目次 (5)
  • 台風が来る前に、雨戸を閉める
  • 「征服する」という言葉が、なじまない
  • 抗うのではなく、いなす
  • 季節は、迎え撃つものではない
  • 「仕方ない」が、諦めの言い訳になるとき

台風が近づくと、ニュースの口調が変わる。「不要不急の外出は控えてください」。それを聞いて、私たちは粛々と、ベランダの植木鉢を中に入れ、買い置きのパンを確認し、お風呂に水を張る。

そこに「台風と戦う」という気配は、あまりない。窓ガラスに養生テープを貼りながら考えているのは、勝つことではなく、過ぎ去るまでどうやり過ごすか、だ。

来るものは、来る。だから、来る前提で備える。

台風が来る前に、雨戸を閉める

「自然を征服する」という言葉は、日本語ではあまり日常的に使われない。

「自然と共に生きる」「自然に寄り添う」という言い方のほうがなじむ、と言われる。たしかに、台風を「迎え撃つ」とか「打ち負かす」とは、あまり言わない。せいぜい「やり過ごす」「乗り切る」だ。

防災用品の棚を思い浮かべてみる。懐中電灯、携帯ラジオ、水、簡易トイレ、ガスボンベ。あれは自然を打ち負かすための装備ではない。揺れても、停電しても、断水しても、数日しのげるようにする備えだ。攻めの道具ではなく、受け流すための道具が並んでいる。

「征服する」という言葉が、なじまない

ここからはひとつの読みとして書く。

この列島は、地震があり、台風が通り、豪雨が降り、火山がある。これだけ災害が重なる場所で、自然を完全にねじ伏せようとしても、すぐにひっくり返される。堤防を高くしても、想定を超える水は来る。

かといって、何もせず放置すれば暮らせない。だから残ったのが、その中間の構えだったのだと思う。完全に勝とうとも、完全に諦めようともしない。来るとわかっているものに、被害を最小にして付き合う。

「自然と共にある」という言葉を、私はずっと牧歌的なものだと思っていた。花鳥風月を愛でる、みたいな。でも実際の中身は、もっと切実で実務的だ。逃げ道を確保し、備蓄を回し、揺れたら机の下に入る。共生の正体は、防災に近い。

抗うのではなく、いなす

この構えを一語で言うなら、「いなす」が近い気がする。

相手の力に正面からぶつかるのではなく、受け流して、勢いを逃がす。相撲取りが、突進してくる相手を真っ向から止めず、体をひらいて流すように。自然に対して、私たちはどこかでこの「いなす」をやっている。

雨が降れば傘をさす。暑ければ風鈴を吊るし、打ち水をする。雪が積もれば屋根の勾配で滑り落とす。どれも、降水や暑さや積雪を「なくそう」とはしていない。来るものは受け入れて、ただ、まともにぶつからないように体を開いている。

木造の家が揺れに「しなる」のも、思えば同じだ。固く突っ張って力を真正面から受けるより、たわんで逃がす。征服でも降伏でもない、第三のかわし方。

季節は、迎え撃つものではない

季節との付き合い方にも、同じ構えが顔を出す。

衣替えをする。梅雨の前に除湿剤を仕込む。夏が来る前にすだれをかけ、冬が来る前に毛布を出す。私たちは、暑さや寒さを「克服」しようとしているというより、来るとわかっている波に、先回りして体を合わせている。

エアコン一台で年中同じ室温に保つこともできるはずなのに、なぜか季節の手当てをやめない。冷房を効かせた部屋で、わざわざ冷やし中華を出し、こたつでアイスを食べる。征服しきらず、季節の側に少し体を寄せておく——その半端さが、たぶん「共にある」ということなのだと思う。

「仕方ない」が、諦めの言い訳になるとき

これは必ず書いておきたい。

「いなす」構えは、裏返ると「仕方ない」という諦めになる。抗わない態度は、ときに、抗うべきときに抗わない言い訳にもなる。

危険な川沿いに家を建て続け、災害のたびに「自然には勝てない」と繰り返す。本来なら避けられた被害まで、「仕方ない」の一言で受け入れてしまう。受け流す構えは、状況を変える努力を放棄する口実にも、簡単にすり替わる。実際、対策の遅れが「自然との共生」という美名で覆い隠されてきた場面も、この国にはある。

いなすことと、諦めることは、紙一重だ。受け流すべきものと、立ち向かうべきものを取り違えれば、それはただの無策になる。

個人的に、この構えの重さを本当に思い知らされたのは、二〇一一年の震災のときだった。あの規模の自然を前にすると、人間は本当に無力なのだと、突きつけられる。堤防も、備えも、想定も、一瞬で越えられてしまう。ただ——それでも、と思う。日本の各地には、その土地で昔に起きた災害が、言い伝えや地名や石碑の形で、古くから残されていることが多い。「ここより下に家を建てるな」と刻んだ先人の石があり、逃げる道筋が語り継がれている。身をもってその知恵を残してくれた昔の人たちの工夫を、無視せずに受け継ぎながら、自然と共存していくしかないのだと思う。いなすというのは、勝つことでも諦めることでもなく、たぶん、代々の「やり過ごし方」を、忘れずに次へ手渡していくことなのだ。

それでも、台風の夜に雨戸を閉めながら、勝とうとも逃げきろうともせず、ただ「過ぎるのを待つ」あの構えには、長く付き合ってきた者の知恵が確かにある気がする。あなたが最後に、抗わずにただ「やり過ごした」のは、何が来たときだっただろう。


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