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なぜ日本では、乾杯の前に飲んではいけないのか

所作と作法 · 2026-06-08 · 約1,400字 · 約3分

目次 (5)
  • 飲めない15秒
  • 乾杯という「始まりの号砲」
  • グラスをそろえることの意味
  • 全員化しない——乾杯を重荷に感じる人たちのこと
  • 問いかけに変えて

居酒屋のテーブルに、よく冷えたビールが届く。グラスを手に取りかけたとき、気づく——隣の人も、向かいの人も、誰も飲んでいない。まだグラスに手をかけた状態で静止している。少しの間があって、一番上の人が口を開く。「では、カンパイ」。そこで初めて、場全体が動き出す。

初めて日本の飲み会に参加した人が戸惑う、あの15秒のことだ。

飲めない15秒

乾杯(kanpai)は、日本の飲みの席でほぼ一度だけ行われる。一番最初、全員のグラスが届いた後のタイミングで、その場で最も上の立場の人が短く言葉を添え、グラスを持ち上げる。目が合い、軽くグラスを傾ける。そこで全員が「一緒に」最初のひと口を飲む。

日本政府観光局(JNTO)は乾杯について「誰も取り残されないよう、一緒に始める」という機能を説明している。グラスが揃うまで飲まないのは、ルールというより反射に近い。体が先に覚えてしまっている習慣だ。

乾杯という「始まりの号砲」

乾杯という字は「杯を乾かす」——グラスを飲み干すことへの願いを指す。その機能は、欧米のトースト(乾杯)とは少し形が違う気がする。

欧米のトーストは誰かに向かって語りかけるものであることが多い。誰かを称え、出来事を祝い、その人(または出来事)に向けてグラスを持ち上げる。

日本の乾杯はそれよりも「閾(しきい)」のようなものに近い気がする——仕事の時間、それぞれの日常から、テーブルという共有の時間へと踏み越えるための合図。乾杯前に飲むことがなぜ「まずい」と感じられるかといえば、その閾を一人だけ先に渡ってしまうことになるからかもしれない。

これは私の読み方であって、断定ではない。

一つの見方として:日本の暮らしには「他の人が揃うまで待つ」という動作がいくつかある。誰かがまだ靴を履いているとき先に歩かない、料理が全員に届くまで食べ始めない。乾杯もそれと同じ感覚の一つとして位置づけられる気がする。

グラスをそろえることの意味

乾杯の後は、ルールが緩む。各自のペースで飲み、お互いに注ぎ合う。その場全体に緩やかな時間が流れ始める。あの最初の「一斉に」が、その緩さの入口を開いているような感覚がある。

目上の人がいる場合、グラスを相手より少し低い位置で合わせるのが礼儀とされている。乾杯は「一緒に始める」だけでなく、その瞬間に関係性も静かに確認される場になっている。

全員化しない——乾杯を重荷に感じる人たちのこと

もちろん、すべての日本人が乾杯をこれほど厳粛に扱うわけではない。親しい友人同士の場では、グラスが届いた瞬間から各自で飲み始めることも珍しくない。若い世代ほど、特に階層的でない場では形式をゆるやかに扱う傾向がある。

そして、乾杯はその重さを問われることもある。職場の「のみかい(飲み会)」——業務上の義務を帯びた飲酒の場——では、上司のスピーチが長引いても誰も飲めない。冷えていくビールの前で待ち続ける緊張感。2024年のリクルートの調査では、若い働き手の多くが職場の飲み会そのものを避けたいと感じていることが示されている。乾杯という合図は、その場を楽しくすることも義務にすることもできる。

問いかけに変えて

乾杯まで飲まない。言われてみると、これはごく当たり前の習慣だ。でもなぜ当たり前なのか、改めて考えてみると言葉にしにくい。「場の全員が同じ瞬間に始まる」というのは、日本の暮らしの至るところに顔を出す感覚な気がする——あなたはどう思う?


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