なぜ日本の電車では、電話をしないのか
所作と作法 · 2026-06-08 · 約1,500字 · 約4分
目次 (5)
- 声だけを特別扱いする不思議
- ルールの成立ちと変化
- 声が「侵入」になる理由
- 息苦しさという影
- 問いかけに変えて
通勤電車に乗る。隣の人がスマホを見ている。ゲームをしている人もいる。イヤホンで音楽を聴いている人も。
でも電話している人は——ほとんどいない。
声だけを特別扱いする不思議
日本の電車では、「声を出す通話」だけが特別に制限されている。
画面を操作する音、タイピング音、イヤホンから漏れる音楽——これらはある程度許容される。でも電話で会話する声は違う扱いを受ける。これはなぜか。
一つの観察として:声だけが「共有される」からかもしれない。スマートフォンの画面の内容は自分だけのものだが、声は周囲の空間に広がる。しかも電話の会話は「片方しか聞こえない」——聞こえてくるのに意味がつかめない情報として、否応なく耳に入ってくる。
ルールの成立ちと変化
「電車での通話禁止」は法律ではなく、鉄道会社によるマナーの「お願い」として広まった。
1997年にNTTドコモが「マナーモード」機能を搭載して以来、携帯電話の公共空間でのマナーが意識されるようになった(japanetic.com 他)。2000年代には「優先席付近では電源をオフに」という案内が一般的になったが、これは主にペースメーカーへの電波干渉への懸念からだった。
その後、技術の進歩によって電波干渉のリスクが大幅に低下し、大阪メトロを含む関西の鉄道各社は2012年以降、「電源オフ」から「マナーモード使用・通話しない」へと方針を変更している。電源オフルールは現在、東京圏でも事実上形骸化しつつある。
ただし「通話をしない」というマナーは残った。電波干渉への懸念とは別の理由で。
声が「侵入」になる理由
なぜ声だけが「迷惑」とされるのか。
これは私の読み方だが——閉じた空間での私的な声は、それを聞く側に選択肢を与えないからかもしれない。本を読んでいても聞こえてくる。音楽を聴いていても漏れてくる。しかも「聞こうとしていないのに聞こえてしまう」もどかしさがある。
「人に迷惑をかけない」という価値観で言えば、声は「受け手に選択を与えない形で侵入する」という点で特別だ。画面の光は目をそらせば消える。でも声は、そうはいかない。
電車という「逃げ場のない密室」の中で、一方的に他者の私的な会話を聞かされる——その感覚が、日本の乗客にとって「迷惑」として機能している可能性がある。
息苦しさという影
正直に言えば、この静けさに息苦しさを感じる人もいる。
外国から来た人が「なんでそんなに静かなの?」と思うのは理解できる。新幹線の指定席でも、少し離れた声が咎められるような空気がある場合もある。「声を出しにくい空間」は、快適さと同時に圧力でもある。
静かな電車は、乗客全員が暗黙に作り出している空間だ。その静けさを維持するために、それぞれが少しずつ「声を抑える」という努力をしている。その集積が快適さを生む——でも同時に、少しだけ自由を削っているかもしれない。
問いかけに変えて
あなたが乗る公共交通で、電話している人がいたらどう感じるだろうか。それは本当に迷惑なのか、慣れの問題なのか、あるいは「声だけを特別扱いする」という感覚自体が、ある文化の中でだけ育まれたものなのか。
主な参照
- japanetic.com「Japanese Train Etiquette: Why Phone Calls Are Strictly Taboo」— マナーの成立ちと現状
- Osaka Metro「Mobile phone manners will be changed」— 関西の方針変更(一次資料)
- JRail Pass「Japan Train Etiquette」— 旅行者向け解説
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